『昔ながらは新しい』とは?
単なる「懐古主義」や「復古主義」ではなく、まさに『温故知新』そのものです!
『温故知新』
Google辞書よると、
前に学んだことや昔の事柄をもう一度調べたり考えたりして、新たな道理や知識を見い出し自分のものとすること。
古いものをたずね求めて新しい事柄を知る意から「温」はたずね求める意。
一説に、冷たいものをあたため直し味わう意とも。
「故ふるきを温たずねて新あたらしきを知しる」または「故ふるきを温たためて新あたらしきを知しる」と訓読する。
とあります。
また、
“昔ながら”には『伝統的な』と言うイメージがあります。
しかし、
ウィーンで活躍した作曲家 指揮者 1860〜1911
グスタフ・マーラー Gustav Mahlerは、
“伝統とは火を守ることであり、灰を崇拝することではない”
と言っています。
また、
“伝統とは、革新の連続である!”
と言い切る人もいます。
私は、妻が実母の“酒まんじゅう”を継ぐと言いだしてから、内心では早く覚えて“免許皆伝”を・・・・とは思いつつ。
しかし、“昔ながら”を継ぐのはそんな簡単なものではないだろうと考えていました。
その辺りの葛藤はブログ“母の商売(ビジネス)を継いだ娘の話”で書いた通りです。
結論から申し上げますと“昔ながら”を継ぐ難しさは、“伝統”と同じで何かノウハウがある訳ではなく、
“型”通りをまず覚え、
それを愚直なまでに貫く事で、貫き通す事が如何に難しいかを知りました。
(殆ど妻がやったんだけど!)
型通りを貫けば美味しい“酒まんじゅう”は作れる訳で、「職人技」や、まして「匠の技」とは違うものです。
決して、義母の腕や妻の器用さを卑下するつもりは毛頭ありませんが・・・・・
私の言いたいところは、“良い材料”を使って、“昔ながら”を“型通り”に通せば誰にでも“昔ながら”の味は作れるのではないかと言うことです。
ここでの“良い材料”とは、高級品という事ではなくて、国内産、出来れば“地のもの”都市部であれば近隣の県産を、
砂糖などは無漂白、調整されてないもので、余計な添加物を入れず、ましてや化学調味料などは一切無使用。
そうすれば、殆ど誰にでも“昔ながらの酒まんじゅう”が出来ると思います。
今、“世間では「お袋の味」が無くなって、「袋の味」ばかりになってしまった。”と言われています。
「お袋」の「お」が無くなって「袋」の味。
つまり、スーパーやコンビニで売っている、「袋詰め」ばかり、袋詰めが“美味しい味”と思い込んではいませんか?
話が途中になってしまいました。
“昔ながらの酒まんじゅう”は「型通り」の作り方で「お袋」の味は何とか引き継ぐことは出来ました。
(内実は失敗も多く、試行錯誤の連続なのですが)
それでは、これで一応の完成かというと、ことはそれ程甘くはありません。
“ぽっとまむ”のオリジナルの「味」を作り上げるために、イノベーションをし続けていかなくてはなりません。
イノベーションの連続と、その結果の1つ、1つがノウハウとなります。
それが、“成功”でも“失敗”でも。
“死ぬまで勉強だ!”
(なんか「匠」っぽくなってきました?!)
是非、“昔ながらの酒まんじゅう”を参考にして、皆さんオリジナルの「昔ながらの○○○」を作ってみてはいかがでしょうか?
手近なところから、糀を使った“おやつ作り”をお母さんやおばあちゃんが、出来ればお子さんやお孫さんと一緒に作れば、
新しい家族のコミュニケーションの「型」が出来るのではないでしょうか?
おやつから始まり、糀を使った「塩糀」「醬油糀」や「自家製味噌」はどうでしょうか?
そして、それらを使った、オリジナルの「常備菜」など・・・・・
ここまで、レパートリーが広がってくれば、もう立派な「お袋の味」です。
コロナ禍で、外食が減り「ウチ食」が増えたようです。
スーパーやコンビニでも“チョイ手間”と言うひと手間掛けるだけで“簡単に”“美味しく”がすぐできる「パック詰め」食材が売れているようです。
そのパック詰めを開いて、温めて、皿に盛るだけでは芸がないと思いませんか?
ここで皆さんでしたら、ここにオリジナルの「お袋の味」を加えて、
シンプルだけど暖かい、そしてお父さんのメタボ何て心配要らない健康的な食卓が完成!
まるで、マンガの「サザエさん一家」の食卓風景ではないですか!?
古き良き時代のような家族団欒風景です。
あれッ!
新しい家族のコミュニケーションを目指していたら“昔ながら”に行きついたとは思いませんか?
そうなんです!
これが『昔ながらは新しい』なんです!!
本当は、「新しい」を求めてイノベーションを追究して行くと“昔ながら”に辿り着くと言うのが真意なんですが・・・・