児玉陽子の正しい「食養」のすすめ

エナジック代理店向け広報誌「Global E-Friends」

2019.11.1~2020.12.15に23回掲載されたものを転載しました。

第3回

「食養」の歴史を辿るーーー“元祖”石塚左玄の提唱

この連載のタイトルにある「食養」とは、 食物によって「病気を治す・健康を改善する」といった意味の語ですが、 いったい誰によっていつ頃から使われ始めたのでしょうか。

もともとフランスのルイ・パスツール (1822-1895) 以降の近代西洋医学の流れを追ってみると、免疫学の祖であるロシアのイリヤ・メチニコフ (1845-1916) が長寿のための乳酸発酵菌 (ヨーグルト)の飲用を勧めた以外、 「食物で病気を治す」 発想は希薄でした。 西洋ではむしろ、 医学とは別物としての 「栄養学」が発達していきました。

一方、古代ギリシャのヒポクラテスやイスラム医学、インドのアーユルベーダ、中国の古典医学などの伝統医学では、 空気・水・風土などと並んで「食事」が意識されていました。 日本でも、前号で紹介した貝原益軒や横井也有のような人たちを見るとわかるとおり、 中国の医学・本草学 (薬学)の影響を受けて、「食物」の大切さを認識し著述で説いていました。

このような素地があったためか、伝統医学・医術を踏まえた 「臨床栄養学」としての「食養」が、日本で独自に発達していったのです。 それが大きく花開いたのは明治期のことでした。

■「人類穀食動物論」とは?

その担い手が、明治時代の医師である石塚左玄 (1851-1909) でした。 彼こそが、 「食物で病気を治す」意味の食養という言葉を使い始め、さらにその概念を広く普及させるのに大きく貢献した人なのです。

福井藩の漢方医の家に生まれた石塚は、 東京大学南校で医師と薬剤師の資格を得て陸軍の軍医・薬剤監として活躍し、1896年に陸軍少将で退官。その年、大著 『化学的食養長寿論』を刊行し、食養概念 の体系化に寄与しました。また、1907年 には「食養会」を設立し、食養概念の実践的普及活動にも熱心に取り組みました。

以下では、 石塚の確立した食養学の中から、良く知られた概念を紹介してみましょう。

まずは 「人類穀食動物論」 です。人間の歯は、穀物を噛むための臼歯が20本、菜類を噛みきるための門歯は8本、そして肉を噛む犬歯は4本なので、 人間は主に穀物を食する動物であるという理論。 穀物の中でも石塚は精白していない玄米を推奨していますので、 「玄米魚菜食」 が理想的な食事ということができそうです。続いては、 「身土(しんど)不二(ふじ)」という考え方です。 もともと「因果応報」に近い意味の仏教用語でしたが、 転用して食養運動の中で使われるようになりました。

その土地の環境に適している食物を、それが産出する季節に食べることで、心身もまた環境に調和するという理論です。 いまなら「地産地消」が近い概念でしょうか。 次号でも、引き続き石塚の「食養概念」を紹介してみます。

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